とうぇるぶ
こんばんみ!Tです。夜中にカーテン開けてると、窓にセミがぶつかってきます。人間の男みたいだなっていつも思ってしまいます。結局、女性の一縷の谷間によっていくんでしょ?
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・社会のねじ?歯車?
連投ごめんね。今日の分
お昼の投稿に加えて、今日の日記を連投します。定期的な更新ではないことを恥ずかしく思います。先の日記でも書きましたように、私の体調が優れせん。家を出るのも、どうかということで、結局読書しています。、、体調がよくても悪くても、本しか読まないんだね。と。。
1日の時点で決めていたこととして、この夏休みで、ジャンルを問わず十冊読むことにしていたのですが、もうすぐ達成しそうです。私ってこんなに読書ができたんだという、純粋に驚いています。
何かを始めるには、何かをやめなければいけない。君の時間は有限。
そんなかっこいい言葉をいただいたことがありましたが、今まで無駄にしてきた時間を、読書に最大限回せているだろうなと思います。ある程度満足したら、読書の時間も何か別のものに回されるのかな?それとも、もっと私の時間の無駄が省かれるのかな?
私は部屋でじっとしているのが嫌なので、読書も勉強もなるべく外でします。部屋といっても自分の部屋が嫌なだけなので、学校行ったり、自習室行ったり、公園行ったり、、、、します。最近は、光合成の代わりに、ベランダにバーチェアーを置いたり、屋根の上に登ったりしています。体には悪いですけど、日に焼けるって、自分は健康だぞって自己暗示かけてる気分です。
社会のねじ?歯車?
私は社会の歯車という言葉をよく使います。何を指すかというと、大人のことです。社会は人間の集まりで、構成員が必要ですが、大人はその構成員で、社会を回しています。しかし、歯車となると、様々な歯車と噛み合うので、一度回り始めるとずっとまわりつづけられる気がするんです。永久期間的な?
なんでこのような話をするかというと、わたしは働きたくないからです。正式には、社会に貢献できるようなことを将来やっていないと思うからです。私がこれから取り込んでいく課題は、私の自己満足のためであり、社会を回すための歯車ではなく、社会という大きな機械を支えているようで、別になくても変わらないねじのようなものではないかと思うんです。思うことがあるんです。
確かに絶対的に必要なねじもあります。しかし、必ずしも必要でないねじを見かけることがあるんです。
使い古される中で、一本
ピーーン
と飛んで行っても気にされない、そんな存在になるような気がするんです。
この問題には答えがありません。なぜなら私の欲望が両極端にあるからです。私の中でさえ、永遠に解決されないはずです。妥協をしないといけないはずです。
やりたいこととやらなければいけないことが一致するそんな瞬間そう簡単には現れない。
なんかかっこいい文字がいっぱい。